私の五月雨登校の始まり -伯父のモラハラと中学のいじめ –

こんにちは。トリコです。

現在不登校中の次男について綴ってきましたが、

今回は私のことをお話しようと思います。

心に残る、かすかな違和感の始まり

子どもの頃、あなたは、理不尽だと感じながらも、

なぜそうなのかをうまく言葉にできなかった経験はありませんか?

私にとってそれは、私の伯父から受けた理不尽でした。

当時は知る由もありませんでしたが、今振り返ると

あれはまさにモラルハラスメント(モラハラ)だったのだと、

はっきりと気づかされます。


今回は私の子どもの頃の記憶の底に眠っていた、

理不尽な痛みとの出会いを書いていきたいと思います。

そして、この経験が、現在不登校の次男との関わりにどう繋がっているのか、

拙く、うまくまとめることができていないかもしれませんが、

私の心の中で見えてきたこともお話しできればと思います。

お屠蘇の強制:幼い心に刻まれた最初の支配

記憶にある最も古い出来事の一つに、お正月のお屠蘇(おとそ)の記憶があります。

お屠蘇とは、九州特有のお正月の行事で、

お酒を年の若い人から年長者へ呑み回していくという風習ですが、

私はこの行事が嫌いでした。

嫌だと訴える小学生の私に対し、

伯父がしつこく強要してくるのは毎年のことで、

周りにいた親戚たちも、親でさえも、

伯父のその行動を止めてはくれませんでした。

これは、この集まりにおいては「ふつう」で「当たり前」のことでした。

幼いながらに感じていたのは、

「なぜ、この人は私の気持ちを無視して強制するのか」

「なぜ、みんな私が嫌だという気持ちを無視するんだろう」

という強い不快感と疑問でした。

それは、彼が私を「導くべき存在」と見なし、

そのための「しつけ」だとでも思っていたように思います。

私にとって、彼の「指導」という名の、最初の一方的な支配でした。

この時の理不尽な感覚は、その後も私の人生に付きまとう、彼の言動の予兆でした。

そして、「誰も助けてくれない」という絶望感や憤りを感じ始めたのもこの頃だったと思います。

「お人形さん」と呼ばれた絵と、デリケートな身長のからかい

私は幼い頃から絵を描くことが大好きでした。

特に、可愛らしい女の子の絵を描くことが。

しかし、母にその絵を見せても、褒められることよりも

至らない部分のダメ出しをされたり、

「お人形さんだね」と片付けられることが多かったと記憶しています。

構図も何もなく、ただ笑顔で立っているだけのお姫様。

拙い技術でしたし、確かにそうなのですが、

まるで自分自身が否定されたように感じ、深く傷つきました。

絵を描くことの情熱は続いていましたが、

いつからか、母に絵を見せることはなくなりました。

また、小学生時代から中学生時代にかけて、

私は自分の身長が平均よりも大幅に低いことにコンプレックスを抱えていました。

周りの友達がぐんぐん背を伸ばす中で、私は取り残されているように感じましたし、

あからさまに揶揄われることもあり、そのことはとても大きな悩みでした。

しかし、伯父はそんな私のデリケートな気持ちを察することなく、

平気で身長をからかいのネタにしました。

集まった親戚みんなの前で、自分の子どもと私の身長を比べて、

自分の子どもの方が背が高いということを見せつけ、上機嫌でした。

なぜ、私の触れてほしくない部分に、土足で踏み込んでくるのか

自分の子どもが上であるということの証明のために他者を使うのか。

私には、ただ一方的に心を攻撃されているようにしか思えませんでした。

「おとなしい」私が標的になったのはなぜか?:五月雨登校が教えてくれたこと

今になって冷静に考えると、伯父にとって私は

「おとなしい」「反抗しない」「支配しやすそう」な存在だったのだと感じています

彼にとって、彼の世界の「ふつう」に沿わない私を

「導いてやる」という名目のもと、コントロールすることが、

彼の歪んだ自己肯定感を満たす手段だったのでしょう。

お屠蘇の強要の他にも、好き嫌いのないようにと言いながら、

私が嫌いだったバナナを無理やり

食べさせてきたことも忘れることができません。

(彼の子どもたちはキノコ類が苦手ですが、それを強要する姿は見たことがなかったのも

違和感を抱く部分でした。)

大人になってからも、夫婦間のことから子どものことまで、多岐に渡り

彼の指導という名の干渉は続きました。

彼のモラハラは、私を「躾ける」「導く」という建前を装いながら、

実際には彼自身の優越感や支配欲を満たすために行われていたのだと、今は理解できます。

このような日常的な理不尽に加え、中学1年生の頃には、

思春期女子特有の陰口や無視などのいじめが原因で

「五月雨登校」になった時期があります。

これもまた、学校の中での私が

「おとなしい」「反抗しない」「支配しやすそう」な存在だったからかもしれません。


学校に行きたくないけれど、行かなければならないというプレッシャー。

本当は行きたいのに身体が重く感じ、鉛のように動かない感覚。

かと言って、特に体に現れる症状(腹痛や発熱等)はなく、

休むこともままならない状況でしたが結局休みがちになり、

休んでも、たまに登校しても、心は休まらない日々でした。

当時の私は、この「学校に行けない」気持ちを誰にも話すことができませんでした。

伯父からのモラハラも含め、

幼い私にとって、それはあまりにも重く、どうすることもできない「痛み」でした。

 そして、この理不尽さの中で私が感じた

「自分の意思を無視される辛さ」「自分という存在を否定される辛さ」は、

今、不登校の次男の姿と重なって見えます。

彼は学校に行きたいと願っているのに、どうしても行けない。

その葛藤と、心に抱えている「痛み」は、

かつての私自身のそれと、深く通じ合っているのだと感じています。

この漠然とした痛みが、その後の私の人生に大きな影響を与えていくことになるのですが

長くなったのでまた次回に続きを書いていこうと思います。

ぜひまたゆるりと遊びに来てもらえたら嬉しいです。


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