学校に行けなくなったその最初の頃、親として私は何を感じ、どう受け止めていたのか。
息子の不登校が始まったばかりの日々を振り返りながら、揺れる気持ちと小さな気づきを綴ります。
こんにちは、トリコです。
前回は、次男ネコジローがADHD・ASD傾向とうつ状態と診断されたこと、
そしてその診断が私たちに与えた希望と葛藤についてお話ししました。
今回は、不登校になり始めた最初の頃――
中学3年生の春から初夏にかけての、ネコジローの様子を思い出しながら綴ってみたいと思います。
実はこの時期、私自身もかなり動揺していたのか、あまり記録もしておらず…
今となっては、いくつかの出来事がぼんやりとした風景のように浮かんでくる、そんな状態です。
記憶が曖昧な部分もありますが、なるべく大まかな流れで残しておこうと思います。
気まずさと、居心地の悪さと
中学3年生になったネコジローは、いきなり壁にぶつかるようなスタートを切りました。
というのも、新しいクラスで、以前ちょっとした行き違いから
距離ができてしまった友だちと同じクラスになってしまったんです。
それが彼にとって、とても気まずくて、居心地の悪い空間になってしまったようでした。
担任の先生は、少し“昭和感”のあるタイプの男性教師。
自分の言いたいことを一方的にまくし立てるように話すことが多く、
人の話にはあまり耳を傾けないタイプ。
ゆっくりと考えてからでないと自分の言葉が出てこないネコジローには、
あまり相性が良くなかったのかもしれません。
さらにクラスの雰囲気もにぎやか(というか、彼にとっては騒がしい)で、苦手な空間だったようです。
そんなこんなで、進級した4月からすでに、学校を休みがちになっていきました。
塾にも行けなくなっていった
中学2年生の時、自分から「行きたい」と言って通い始めた塾も、
同じようにだんだん行けなくなっていきました。
最初のうちは「今日はちょっと体調が…」「なんか気分が乗らない…」
という感じだったのが、次第に休みがちになり、
ゴールデンウィーク前には「もう辞めたい」と話すようになりました。
塾の先生はとても理解のある方で、
「とりあえず“休塾”扱いにしておくから、また行きたくなったらいつでも戻っておいで」
と言ってくださいました。
休塾扱いとなった後も、たびたび自宅学習におすすめの教材や
気分転換におすすめの場所などをメッセージしてくれました。
――結局、その後塾に戻ることはありませんでしたが、
それでもあの時の先生の言葉と対応には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
完全に行かなくなってからのこと
ゴールデンウィークが明けた頃から、ネコジローは完全に学校に行かなくなりました。
心当たりを聞いてみたり、原因を探そうとしても返事は濁されるばかり。
親としてはやっぱり「なんとか行かせなきゃ!」という気持ちが拭えず、
でも実際どうしたらいいのかは分からず…。
とにかく無理に登校させることはせず、彼の様子を見ながら、
朝になるとちょっと声をかけてみたり、「今日はどう?」とやんわり促してみたり。
でも、返ってくるのは曖昧な表情と、「うーん…」という小さな声。
無理させるのは良くないと頭ではわかっていても、
心のどこかでは「行ってくれたら安心するのに」と思ってしまう。
そんな自分の気持ちにも、正直戸惑っていました。
5月末、学校と初めての本格的な相談
さすがに丸一ヶ月ほど登校がない状態が続いた5月末、
学校側とも話し合いをすることになりました。
面談に集まったのは、担任の先生と学年主任の先生、養護教諭の先生、
そして私と夫。5人での面談でした。
その場では、ネコジローの生活の様子を伝えたり、
学校としてできるサポートについての説明を受けたりしました。
・市が提供している「オンライン授業」を受けることで出席扱いになる制度があること
・同じく市が運営する、自由登校型の支援スペース(来たい時間に来て、帰りたい時間に帰ってOK)
への参加で出席扱いにできること
・保健室登校など、他にも柔軟な対応が可能なこと
学校側から提示された情報は、私たちにとっても新しい知識が多く、
正直ホッとした気持ちもありました。
「今すぐに“普通の教室”に戻らなくてもいい」
「いろんな形があっていいんだ」
「結構いろんなところでサポートしてくれるんだ」
そう思えるだけで、少し気持ちが楽になったのを覚えています。
次回は…
この時期、私たちは「何が正解なのか」分からないまま、手探りで少しずつ進もうとしていました。
次回は、こうした制度や情報を得た私たち家族が、実際にどんなふうに動き出したのか――
ネコジローの気持ちに寄り添おうとしながら、どんな風に関わっていこうとしたのかについて、
お話ししていこうと思います。
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