不登校の息子が生きる「自由なのに苦しい」時代

息子の不登校をきっかけに、私はよく考えるようになりました。

「今の子どもたちは、どんな世界を生きているんだろう」

私たちの時代よりもずっと自由に見えるのに、

なぜこんなにも苦しそうなのか。

今日は、息子を見つめながら感じた

“自由なのに苦しい”

この時代の重圧について、少し書いてみたいと思います。

息子の生きる世界。「自由」なようで「不自由」な現代社会の重圧

前回の記事で書いたように、

私は、自分の学生時代と息子の現状を比べながら、

どこに違いがあるのかを考えてきました。

あの頃の私は、学校がつらくても

「誰にも否定されない自分の世界」を持っていた。

でも今の息子には、それが見つけにくい


――その背景には、「時代そのものの違い」があるのかもしれません。


「不自由な時代」にあった、見えない自由

私たちが学生だった頃、

「学校には行くのが当たり前」

「勉強ができることが正義」

といった価値観が強くありました。

確かに、不自由な時代でした。

でも振り返ると、あの頃には

「見られない自由」もあったように思います。

たとえば、学校で嫌なことがあっても、

それは学校で完結することでした。

家に帰れば世界は閉じて、

心を休める時間がありました。

趣味や好きなことも、

誰かの評価に晒されることはなく、

ただ自分が楽しいから続けられた。

あの頃の「狭さ」は、

今思えば心の安全弁でもあったのかもしれません。


「自由な時代」に生きる、息子の不自由さ

一方、息子たちが生きる現代は、

一見するととても自由に見えます。

どんな情報も手に入り、どんな表現もできる。

けれど、その「自由」はいつの間にか

「見張られている自由」へと変わっています。

学校を休んでも、SNSを開けば、

友人たちの楽しそうな投稿が流れてくる。

どんな失敗もネットに残り、簡単には消えない。

ちょっとしたことも大事件のようになり、

取り返しのつかない“失敗“となる。

「いいね」や「フォロワー数」という数字が、

子どもたちの価値を測る物差しのように突きつけられる。

この世界は、「自由なようで、不自由」

休んでも休まらず、

どこにいても比較と評価から逃れられない。

息子が苦しんでいるのは、もしかすると

この「自由の重圧」のせいなのかもしれません。


休めない時代に、どうやって生きるか

こうした環境は、自己肯定感の低い子には本当に過酷です。

失敗を恐れ、承認を求め、

誰にも追いつけない気がして、自分を責めてしまう。

心を休める場所がないまま、

エネルギーを使い果たしてしまう。

だからこそ、今の親にできることは、

「家の中だけは見られない場所にする」ことだと思います。

SNSでも学校でもない、誰にも評価されない空間。

どんな言葉を吐いても、どんな顔をしても、

ここでは否定されない――そんな安全な場所。


家という「最後の逃げ場」でありたい

社会の流れは、親には変えられません。

けれど、家庭の中だけは、

「やり直せる場所」

「何もできなくても価値がある場所」

にしたい。

息子がこの「不自由な自由」を生き抜くために、

私たちはせめて、安心して立ち止まれる空気を守りたいのです。


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