こんにちは。トリコです。
「すべてを受け入れてあげましょう」──
不登校のサポートで、何度も聞いてきた言葉です。
けれど、実際にその通りにしようとすると、心が苦しくなることがある。
今日は、私が感じた“受容”のむずかしさについて書きます。
「受容」って、どこまでのこと?

不登校のサポートでは、よく「すべてを受け入れてあげてください」と言われます。
もちろん、子どもの「つらい」「行きたくない」という気持ちは受け止めたい。
ありのままの姿を受け入れたいとも思っている。
でも最近、「受け入れる」って一体どこまでなんだろう?と考えることが増えました。
気がつくと、
「親が自分の気持ちを押し殺して、子どもの言動を全部受け止めること」
になっていたりします。
本当にそれでいいのかな、と心がざわつく日があります。
どこまでが愛情?どこからがワガママ?
例えば、子どもが散らかしたリビング。
「元気になるまでは私が片付ければいい」と思う反面、
「自分のことは少しずつ自分でやることも、大事な回復の一歩かも」
と感じることもあります。
また、子どもが不機嫌になったり、無視という形で距離を取ってくる時。
頭では「防衛反応だ」と分かっていても、
「どうして私ばかり我慢しなきゃいけないんだろう」
と、心がつらくなることがあります。
現実との折り合いの中で
家庭の経済状況を超えた要求や、どうしても応えられないこともあります。
そんな時、「また不機嫌になってしまうかも」と思うと、正直うんざりする日も。
けれど、現実にはできることとできないことがある。
それを伝えることもまた、親としての大事な役割なのだと感じます。
親も「無」にならなくていい
子どもに寄り添うことと、親が自分をすり減らすことは、同じではありません。
もしどうにも苦しくなった時は、
誰かに話を聞いてもらうことや、専門家の力を借りることも選択肢のひとつ。
それは「逃げ」ではなく、「親として元気でいるための工夫」だと思います。
さいごに
「受け入れる」って、簡単なようでとても難しいこと。
でも親の心がすり減るほど頑張らなければならないのも
なんだか少し違和感を感じるのです。
もし今、あなたが「全部受け入れなきゃ」と苦しくなっているなら、
少し立ち止まって、「自分の心はいま、どう感じてる?」と聞いてあげるのも
大切な事なのではないかと思います。
親の心を無理に「無」にしなくても、ちゃんと愛情が伝わるように。
子どもも親も無理なく笑って過ごせるように。
そんな方法を探している日々です。
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